卒部式のひと言 2014年3月卒部

●高橋 梨穂
こんにちは。この福島大学陸上部に入って一番思ったのは仲間の大切さです。私の地元は楢葉町で、今も避難生活をしています。震災のときは行く当てもなく、目標もわからなく、どうしたらいいか分かりませんでした。武石の家で三日ぶりのお風呂に入ったり、合宿から12時間かけて帰ってきたら男子がおにぎりと水を準備してくれていたりしました。親も仕事ができず、自分が陸上をしていいのかと思うときもありました。でも、五月に集合したとき本当にみんなと陸上が出来て幸せだと思いました。私が変わればチームが変わると言われてやってやろうと思って一年間頑張ってきた。 同学年のみんなや、付いてきてくれた後輩たちのおかげでうまくかは分からないけどここまでやってこれました。私は人前で話すことが大嫌いだし、内弁慶でした。でも、チームが私を変えてくれました。目標がないといったけれど、先生が大会に出ないかと連絡をくれました。それから、それを目標に片道二時間かけて信夫に練習をしに行ったりしました。吉田と大会に出たとき福島というだけで周りの目を気にしていたけど、観客が頑張れって声をかけてくれて出場してよかったなと思いました。私は「目標をもって」ということを伝えたいです。福島大学は、短距離は強いが投擲はそんなに目立ちません。 なので、自分が投擲も強いっていうことを示せばいいと思って吉田とやってきました。ベンチは高校卒業の時40キロでしたが今では90キロを上げることができるようになりました。四年間は長いようであっという間です。四年生はそれぞれ違う道にいくけど、みんなならやれると思うから頑張ろう。後輩は悔いの内容に全力で取り組んでほしいです。四月から大学院に行きます。日本選手権に被災地出身として元気づけたいです。でも、標準が上がってしまい切れていないので、限られた時間の中でやれることをやっていきたいです。みんな、これからもよろしくお願いします。


西ノ明 達仁
こんにちは。こうやってみんなの前で話すのは、久しぶりなので少し緊張しています。僕は、みんな知っていると思いますが、高校3年生の時マイルでバトンを落としてしまい、この4年間マイルでリベンジしたいと思い大学で続けました。入学する前は、福大の情報が全くなくて川本先生が情熱大陸に出ているのを見たり、福陸を見たりしかしていなく全く分かりませんでした。最初は、ボタン式の電車は乗ったことがなく僕のところは自動でドアが開いたので近くにいたおばさんに開けてもらいました。初めは先輩についていくので必死で先輩にしがみついていました。大学1年では、 400mの記録が伸びず大学2年で自己ベストを出すことができました。そして、大学4年の最後のレースである23大のマイルリレーで良い形で終われて、リベンジできて嬉しかったです。 最初は、短長ブロックの同じ学年がもう1人いたのに1人が辞めて途中から1人になりライバルがいなかったので残念でした。しかし後輩として白木と大瀬と金子が入ってきてくれて、初めは引っ張っていけるか不安だったけど頑張ってこれました。最後は、後輩たちと走れて本当に良かったと思っています。 僕は、川本先生初めは二瓶先生、菊田先生にご指導していただいて高校の頃までこんなに言ってくれる人はいなかったのでこんなに指導していただけたのは幸せなことだと思います。僕はまだまだ未熟なところがたくさんあるのですけど、社会にいって成長してまた自分も1人の社会人として指導できるように自分を磨いていきたいです。僕は本当に福島に来て良かったと思っています。僕が2年生になる時に起きた東日本大震災は大きな出来事でした。僕は、東日本大震災が起きたあと1度福岡に帰ったのですが、西日本の人とは考えてることが違って同じ日本でも全く違うような気がしました。 僕は、「何ができるのだろう…」と考えました。何もできなく辛いこともありましたが、ちっぽけなことでもやることは大切なのだと感じました。陸上部に入り、色々経験することができて高校の時は人数が少なかったので、チームとして戦うことができて良かったです。勝負の世界は、勝つ人負ける人がいるけど福島大らしく勝負していって欲しいと思います。今年の日本選手権は福島で行われるということで、たくさんの人が活躍するところを見たいし、楽しみにしています。


伊花 亮平
こんにちは。僕も卒業できてほっとしています。せっかく場があるので後輩たちにつながる話をします。浪人して1年間、予備校に通っていた。入った時は、100メートル13秒、TCや400メートルをしてた武石さんにまけて怒られる。何気なくメニューをこなす日々。与えられるものだけをたべてちゃだめ。最初は跳躍、強くなりたいという思いから混成になった。先生のメニューだけでなく、先生のスプリント、ウエイトの講義などから学んだことを生かして自分で考えて練習していた。そんななか後輩が入ってきて、女子以下の僕が負けてられないと思った。ベンチはマックス60から今は120あげられるようになった。成長したことをいいたかった。涼太と直接対決。まんべんなく練習して総合では負けない。オールマイティに練習した。涼太に1回も負けずに終えたのは嬉しい。1つ負けても他では負けない。伸び悩んだら他のことなにか1つを成長させる。何か成長していれば自分の体は変わっている。記録にこだわりすぎず、できることを増やしていく。ウエイト、バイクの数値があがって、23大ではいい記録がだ せた。体重でもいい。1回の腹筋が出来るようになったでもいい。1年前より伸びたらそれは成長している。練習は嘘をつかない。1日1日の練習を大切にする。東北インカレまで53日。体はもう変わらない。全カレまで160。3ヶ月以上あるから体は変えられる。目標を設定した時に日割り計算する。1日1日ムダにしたら自分を苦しめるだけ。今日、何ができたか。1年の時から一芸でも覚えても忘れてしまうからアドリブで。4月から新潟県警。警察学校で1人前になれるように頑張りたい。13人のいい仲間に出会えてよかった。ありがとうございました。


岡部ソフィ 満有子
伊花さんから面白くてためになる話があった後に私は自分の事になるが最後まで聞いて欲しい。この陸上競技部に入部して4年間あっという間だった。その中で、一番心残りなのは思うような結果を残せなかったこと。強くなりたいという強い思いで来たからこそ、こんな結果しか残せず悔しい。なぜ結果を残すことができなかったのかということをこれから社会にでてからも考えていかなければならないと思う。そこで、今言えることは「自分はかたくなな人間だった」ということ。表では、「はい」と返事をしても心のどこかで自分のスタイルでなんとかできると思っていた。福島大学に来る前は、勉強も部活もなんだかんだ自分でうまくできていたということもあり尚更他人の言う事を聞き入れていなかった。日本一の選手や先生、強い仲間がいる恵まれた環境にいたのに考えを変えてこなかったことが結果を出せなかった理由だと思う。先生から言われた「たかが20数年の知識でやろうとしてもだめだ」と言う言葉を聞いて、目からうろこだった。浅い知識だけで周りの声を聞い ていなかった。わかってるつもりでも私は分かっていなかった。3年の冬、私は色々な事が重なり練習に行くことができなかった。陸上競技が好きなはずなのに、嫌なものと考えるようになってしまった。競技場へ行くことも苦痛だった。4月から行けるようにはなったが、モチベーションは0。もしろマイナスだった。その気持ちの中で、なんでいけたかというと、先輩、後輩、仲間がいたからだ。自分が思っていた以上に大切な関係ができていた。以前は、一線を引いていた。学校、家、競技場を往復する毎日で人との関わりを避け、関係を築くことから逃げ、自分が傷つかないようにしていた。でも、その部はそういうわけにはいかなくて、ミーティングがあり、自分の中では大学でも一人でやっていこうとしていたから、煩わしく思ってしまった。でも、競技場に戻れたのは仲間がいたから。仲間がいたから、4年間陸上をできた。ここに入って、最高な仲間に出会って、ぶつかることもあったが、それでも一緒にいたいと思えた。一生の誇り。結果を残せずダメな先 輩だったけれど、したってくれて、仲良くしてくれて感謝している。陸上をしていない自分は想像できないけれど、していなくても自分は自分。目標は違ってもそれに向かって頑張っていこうと思う。4月からは、地元山形で新聞記者として働く。文を書くことが好きだから言葉で情報を発信して伝えていきたい。最後に、この4年間、この仲間と陸上ができて良かった。



久慈 諒介
4年間振り返ってみるともっと努力していけばよかった。目標としていた全日本インカレに出場できず、主務をやめてしまった。竹谷に久慈と1,2とりたいと言われたとき、竹谷は6m50しか跳んでいなかったので無理だと思っていたが抜かれてしまった。恥ずかしいけど俺は久慈を目標にして追いかけてきた。と言われた。竹谷だけではなく4年生全員に支えられた。最近どうですか?大丈夫ですか?と心配して聞いてくれる後輩もいた。川本先生にはミスをして怒られることがたくさんあった。ある時二瓶先生に言われた。「久慈は人の話を心で聞いていない。」 自分で人の話を心で聞けてないと気づくことができた。もし言われてなければこのままだった。菊田先生からは陸上の本当の楽しさを教えてくださった。最後に、「人は1人では生きていけない。1人では無力だ。」1つだけみんなに贈る言葉にしたいです。

佐藤 青葉
4年間何度も辞めたいと思ったことがありました。1年生の冬に、仲の良かった仲間が辞めてしまい、私も辞めたいと思ったことがありました。そこで仲間にそのことを伝えたところ、「一緒に辞めるわ」と言われました。私がこの部を辞めてもチームには何も影響ないと思っていたのでその一言は衝撃でした。しかし、何のために陸上をやっているのか分からくなり、競技場に行くのも辛く、ひまわりの花に水をやるためだけに練習に行くこともありました。何のために福島に来たのだろう、何のために競技をしているのだろう…と分からなくなりました。 そんな時、久慈の「おれはまだ竹谷と1,2フィニッシュしてない。そのためだけにこれからも続ける」というのを聞いて、私はそれを見るためだけに辞めずに残ろうと決意しました。3年生になり、上級生として自分に何ができるか、考えて行動できるようになり、前向きに仲間と練習に取り組めるようになっていきました。最後の年には4年ぶりの自己ベストが出て、目標だった表彰台に登ることもできた。個人戦ではたまたまだが優勝して、最後の最後でてっぺんに登ることができて、その時に「あの時辞めなくて良かった」と思えました。23大学対校戦では、今までは周りが強かったので私が勝っても負けても優勝していたが、 4年になると1点でも取ることが大切だった。そこで、チームとして戦ってこられたんだな、ということを感じました。竹谷、久慈と3人で砂場でやってきたことは本当に自慢です。福島大学に来られて良かったです。4月からは山形県の天童市の中学校で非常勤講師として保健体育を教えます。人を支える力、話をきく力を身につけたいです。ありがとうございました。


治部 忠彦
たくさんのいろんな人に支えられた4年間でした。1年生のときに僕が大きな間違いを犯し、先生に怒られ続け迷惑をかけていた中で、チームの仲間が声をかけて励ましてくれたり家まできてくれたりしてくれたことがあり、その時、ここにいたいと思った。支えてくれたひとたちに恩返しするために、競技面で強くなろうと決意しました。 2年生になり、啓、霜触、井戸坂が入ってきて、僕は全然速くないから勝てなくて、先輩として口だけでした。練習後に野地と、苦手なスタート練習をしてきましたが、結局ずっと下手なままでした。3年生になって記録が伸びず思い通りにいかないときもあったが、いつも隣には野地がいて、野地には負けない、とおもっていました。その年に走ったリレーで、大内さんを表彰台の1番上に立たせたいという思いがあったが、バトンを落とすという失敗をしてしまいました。大内さんの花道を作れなかったのはお前らの責任だ、と先生にいわれてしまいました。やめたくなったときもあったが、 先生に、陸上に向き合っていないと怒られました。僕は先生に長期にわたって怒られたことで成長することができました。結果がでなくて、みんなを引っ張ることもできなくて、でもみんなはついて来てくれました。4年生のときの23大学では入賞することができた。リレーも今までは全然引っ張れていなかったが、最後のマイルリレーでは白木の言うとおり大会新で優勝できて、いい仲間に出会えて良かったと感じました。これから新社会人として働き始めるのですが、どんな仕事でも自分の能力を発揮したいです。もちろんミスすることもあると思うのですが、その中でも人として大きく成長していきたいと思います。


鈴木 結香
今日全然泣くつもりありませんでした。でも、治部の話で泣いてしまいとてもドキドキしています。私の大学4年間の陸上期間は今まで生きた中で一番つらかったです。治部の話で四年間がフラッシュバックしました。福島大学に入って、陸上部に入って、目標を持ってやってきたけど、自己管理不足で記録が出ずに終わってしまいました。自己ベストも更新できませんでした。みんなには、自己ベストを更新して笑って卒業してほしいです。先生方にもいろいろ教えてもらって、特に川本先生にはたくさんお叱りを受けて、奪いたくないのに先生の時間をたくさん奪いました。たくさん叱っていただいて感謝しています。 タイムが残せなくて辛かったです。でも先生方に出会って、仲間たちと陸上が出来て楽しかったです。4月から銀行マンとして福島銀行で働きます。まずは研修して、そこから福島支店に配属になります。電車とかで見かけたら声かけてください。ありがとうございました。


武石 この実
4年間を振り返ると色々なことがあったと思います。私は入学した時、福島大に夢と希望を持ってやってきました。しかし、1年生の6月に大きな怪我をして夢も希望もなくなりました。それから、1年生の時はタイムとりばかりしていて冬練習の時は泣きながら流し読みをしていた時もありました。これが1年生の思い出です。今までしたことのない怪我で大好きな陸上ができない苦しさや辛さを味わいました。そこで、先輩が家に来て話を聞いてくれたりご飯を作って下さり、人の温かさや人に支えられて1年生の時はもがき苦しみながら前に進んでいきました。集合での先生のお話、 先輩方の言葉など一つ一つのことがあってそれにしがみついて1年生の時は頑張っていきました。2年生の時、新しい後輩が入り「2年生だからしっかりしなきゃ!」と思う一方で、実力がないので引っ張っていけるか不安でいっぱいでした。しかし、3年生になって練習できるようになり自信がついてきました。強い気持ちで進めるようになりました。人との出会いや良い環境に感謝しています。1.2年生の時、短距離ブロックが同学年に5人いて「全カレで優勝しよう!」と言っていたけど結局みんな辞めてしまって私が一人ぼっちになり先輩として不安になりました。 「千葉さんにいただいたバトンを繋げよう!」「伝統のあるバトンを次に繋げなきゃ!」と思うと不安だったけど3年生に背中を押してもらって頑張ることができました。 後輩たちとあの競技場で同じ時間、同じ目標を持って練習した日々は私にとって誇りだし、宝物です。同学年にも辛い時に支えてもらいました。みんなと苦楽を共に過ごすことができて幸せでした。 これからも福島に残って陸上を続けます。今までとは違う環境になりますが、何かあったら後輩の話を聞いてあげたいと思います。これからもよろしくお願いします。


中田 倭菜
私用により参加できませんでした。


竹谷 翔平
1~3年では、怪我の日々が続いていました。そして3年の後半にチームに迷惑をかけてしまい、その時に仲間の大切さを知ることができました。そして、それ以来「やってしまったことは変えられないけど、その人たちに陸上競技で恩を返そう」と、いう気持ちで練習に励み、大学4年目にしてやっと記録を伸ばすことができました。みんなへのメッセージとして、まずは3年生に、今僕が立つ場所に来るのはあっという間、それまで悔いを残さないように。そして、辛いこと、苦しいことがあっても仲間は大切に。2年生は、人数が少ないですが団結して頑張ってください。 1年生は、もうすぐ後輩が入ってくるから先輩らしい行動がとれるよう頑張ってください。そして、今村さん、今までありがとうございます。残り1年悔いの残らないよう頑張ってください。4月からは東京消防庁で働きます。


野地 貴仁
お久しぶりです。僕は、アメリカの〜大学で交換留学生として生活しています。アメリカに行くことが決まってから卒部式に出ることができないと思いましたが、僕の中にここに帰ってこないという選択肢はありませんでした。4年間一緒に頑張ってきた仲間とここにたつことが僕の目標だったからです。僕は4年間どうしようもないやつでした。道を踏み外したり、チームに迷惑をかけたりすることもありました。辞めたい、ここから消えてしまいたいと思ったこともありました。仲間たちはその度に、何も言わず僕のそばにいてくれました。特に4年生は「ご飯いこう!」「風呂に行こう!」と誘ってくれて。些細なことかもしれないけど、それが支えでした。僕は卒部式のこの場に立つことが目標でした。一人では無理でした。先生、OB、OG、先輩、後輩、みんなに支えてもらってこの場に今立っています。何かをするたびに支えられて、仲間の大切さを感じました。「友達はいるか?」と聞かれたら何人か思いつきます。しかし「仲間はいるか?」と聞かれたら、思い浮ぶのはここにいるみんなです。 仲間というのは、苦楽を共にした人のことを言うのだと思います。たくさん笑って泣いてそれをすべてともにやってきた仲間がいることが僕の誇りです。 競技面では、4年間全カレに出ることが出来ず、治部とリレーが繋げませんでした。特に最後の1年は、どうして自分はあの場に立っていないのだろう、みんなは記録や結果を残しているのに、と強く自分を責めていました。応援をしていても悔しくて、眩しすぎる仲間の活躍から目を背けたいと思ったこともありました。でも、僕は陸上が大好きでした。僕は不器用です。他の競技が出来ません。しかし、走ることは大好きです。一緒に走る仲間がいて幸せでした。一緒にお互い本気になって練習できて幸せでした。治部とは下手だったスタート練習をなんどもやりました。自分の使える時間は全て練習していました。自分はチームの役にたたず、点数も入れられない。僕はこのチームのために何が出来るだろう?と考えたとき、出た答えが練習をがむしゃらに頑張ることでした。4年間、好きなことに打ち込めたことが幸せです。 先生方には沢山指導していただいて感謝しています。何度も何度も叱っていただいてとても申し訳ないです。TCのころからなので10年もお世話になっています。ここで陸上ができて幸せですここで頑張ってきたことが誇りです。最後まで見捨てずご指導していただき、ありがとうございました。 今、アメリカでもたまに走っています。僕はどこに行っても陸上が好きです。アメリカで陸上をしている人は黒人が多く、身体能力も高いです。みんな楽しそうに走っています。みんなも走ることが好きで陸上をしている人が多いと思います。先輩の言葉で『どんなに辛いことがあっても、陸上をなんでやっているのかを思い出せ』というものがあります。何度も逃げたい時があったけど、陸上が好きで。くじけそうな時も何とか陸上を続けることができました。 公式戦の応援はいけませんが、アメリカでも福陸やみんなのブログを見ています。みなさんの活躍を期待しています。すごく楽しみにしています。帰ってきたときにうれしい報告を聞けたらなと思います4年生のみんな、こんなどうしようもない僕と一緒にいてくれてありがとう。過ごした時間は一生の宝物です。今までありがとうございました。


吉田 敦子
大学に入って、身体を大きくしなさいという言葉に甘えて大きくなったが、4年間で5cmしか自己ベストは更新できなかった。自分にとって高橋の存在は大きくて、B標準を切って一緒に全日本インカレに出場したいと思っていた。結果的にはB標準は切れなかったが、高橋が北日本インカレで優勝するチャンスを高橋がくれたことで、全国の舞台で一緒に戦いたいという目標を達成できた。 3年の冬から女子主務、4年生に入るときに主務になって、最初は、競技力もなくて、下級生には身になる話もできなくて、自信もなくて不安でいっぱいだった。主務である私が先生とコミュニケーションをとらなければ、チームがまわらない。人によっては仕事が多くて主務が大変だねと言われたけれど、自分はそんなこと思わなかった。チームに迷惑はかけられないとう思いが強い。主務を任せていただいたことに感謝している。主務になったことは私の転機であったし、学んだことが多い。私は2年まで、自分に自信がなくて人の影に隠れていた。 そういう人はいると思うけれど、自分の中でこれは絶対に負けないとか、自分の意見を持ってやっていってほしい。私同学年の女子は言いたいことがあればすぐ言うタイプで、仲間としてチームのために意見をぶつけ合うのは大切だけれど、そうではない男子を見て、自分の考えを省みることができた。それによって、チームのバランスが保たれていたのかと思う。いろいろな人がいるからチームが成り立っている。みんなにそれぞれ役割があって、チームにとって1人ひとりが大切な存在である。自信を持てることを自分で見つけてみると言うことは自分の強みになる。 コミュニケーションをとることは、失礼になってしまうこともあるが、コミュニケーションによって新しい世界が広がる。自分にとって何十倍もプラスになる。 4月からは新しい場(東邦銀行)で、わからないことがたくさんあるけれど、コミュニケーションを大切に頑張っていきたい。お互い頑張ろう。