卒部式のひと言 2011年3月卒部

●中村 優平
3年前福島に来て風強いし寒いし、なんで来たんだろうと後悔しました。でも今は、福島大学に来てよかったと思います。充実していたし、なにより人に恵まれました。怪我が多くて迷惑をかけてしまいました。満足な結果は出すことができず、辛かったり、やめたいと思ったこともありました。でも4年間やってこられたのは、同級生や先輩、後輩が支えてくれたからです。良い出会いをしました。それ以外にも環境に恵まれました。人間的にも成長できたと思います。2年間ブロック長をしてみんなとは違う体験もしました。記録会やももりんにも携わり外部の人ともたくさん触れ合うことができました。今まで僕はひっぱるほうではありませんでした。でもここにきて変わることができました。福島大学陸上競技部に来たから変わることができました。感謝しています。進路は宮崎県警になりました。県警という看板を背負っていくので、不安やプレッシャーが大きい分やりがいもあると思います。福島大学陸上部で学んだことを生かして頑張っていきたいです。ありがとうございました。


村上 雪菜
こんにちは。私も話がばらばらになってしまったりすると思いますが、ここはそういう場だと思います。聞いてください。私は本当に何もできなかった女子主将だったと思います。このような場で、ついてきてくれてありがとうとか言えないくらいです。今日も卒業式でみんなに祝ってもらっていいのかなと思ったりもしています。去年は震災があって3月から4月という重要な時期にみんながばらばらになってしまいました。私は研究室の用事で4月の頭には福島市に戻りましたが、その当時は電車も動いていなくて、バスを乗り継いでやっとの思いでこの福島大学のトラックに帰ってきました。しかし、そこには誰もいませんでした。そのときにみんなで練習できることは本当に幸せなことなんだと実感しました。3年生までの私は4年生の先輩方の指示について、ここをこうすればいいのに…などと生意気にも思っていましたが、いざ自分が4年生になってやってみるととても難しくて、自分の中で思ったりそれを口に出したりするのは簡単だが行動するのはとても難しいことなんだと思い知りました。私は引退してチームを離れてみて思ったことがいくつかあります。一つ目は自分に制限を作ってしまっていたということです。明日は練習だから身体を休めるためにこれはしないなど、自分の競技によかれと思ってやってきたことでしたが、この甘さが知らず知らずに競技に表れてしまったと思います。二つ目は部員とのコミュニケーションがとれていなかったということです。私は先輩が大好きな後輩でした。でも、後輩たちとは少し距離があったように思います。私が先輩に「先輩、先輩!」といけていたのは、先輩がかわいがってくれたからだと思います。下から先輩にいくのも大切なことですが、それより先輩のほうが後輩に歩み寄ることのほうが簡単です。私ももっと後輩ひとりひとりと話していればよかったと思います。先生や学年の仲間とのやりとりでは、話すことがとても大事だということを最近気づきました。気づいたのが遅かったと思います。女子主将になって大変だったとき、同学年のみんなは心配してくれて大きな大会の前だというのに夜遅くまで迷惑をかけたこともありました。本当にみんなには私のせいで大変な思いをさせてしまいました。時間を戻してやり直したいという気持ちでいっぱいです。みんなが助けてくれて…本当に私は仲間に恵まれたと思います。後輩のみんなには自分に制限を作らず、自分をさらけ出して殻を破って突き進んでほしいと思います。最後に4年生のいいとことを一人一言ずつ言いたいと思います。千葉はひたむきさ。浅見は天真爛漫で自由気ままなところ。加藤は負けん気が強いところ。亀田は行動力。中村は大きな優しさ。小林は意外な真面目さ。金森は人間性。松岡は暑苦しいほどの熱さ、情熱。吉田は誰も見ていないところで走っているところ、謙虚さ。本当はみんなにも言いたいのですが時間もないので。今後の進路ですが、私は福島大学の大学院に進みます。今後も審判に挑戦するなど陸上競技とはつながっていたいと思っています。陸上部からは離れますが離れたところで見守っています。ありがとうございました。


松岡 悠生
ここに立つのが早かったです。1年の時に先輩を見ていて、ついに自分の話す時がきて時間が経つのが早いなと感じています。3日間何を話そうか考えていましたが、結局あまりまとまりませんでした。僕が福島大学に入ろうと思ったのは、同じ高校の先輩の一ノ関さんが入って、僕はリレーが大好きで、大学でもまた一緒に走りたいと思ったからです。1年の東北インカレでは選手になれなかったけど、先輩方が総合優勝し、全カレでは3′10″5で決勝まであと0.01でとどかなかったので、来年は先輩の思いを継いでまたここに戻ってきたいと思いました。日本選手権リレーでは、6人のメンバーに入れてもらえたのに、怪我をして先生に報告できず、チームとしての戦い方がわかっていないと言われ、その時からチームとして戦うことを本当に考えるようになりました。2年では、東北インカレも北日本インカレでも上手くいかず、順天堂の記録会にも行ったけどダメでした。3年の時は、全カレのレベルまで達することができませんでした。4年では4継とマイルを走らせてもらいました。最後の年なので後輩たちに何か残したいと思っていましたが、東北インカレでは勝てず、北日ではつまらないところで怪我をしてしまって自分を見失って後輩を引っ張ることができませんでした。後輩、チームに何か残したかったのに…本当にみんなに申し訳ない。全カレを決めれなかったことが本当に悔しかった。怪我で自分を見失って何もできなくて、それでも僕についてきてくれて、嬉しくて、本当にこのチームが大好きでした。副キャプテンやれて良かったです。このチームでやれて良かったです。悩んでる時も仲間がいたし、何も言わずについてきてくれた後輩がいて、恵まれた4年間でした。チーム、仲間は大切で、横の繋がりも大切です。同じ学年で本音を言わないといい仲間にはなれない、ミーティングも本気でぶつかり合って仲を深めてほしいです。本当に周りがいるからやっていけて、練習も厳しくて大変だし、いろいろ怒られたり、怪我したりして辞めたくなったけど、仲間、後輩、先輩がいたから、こんなところでへこたれていられないと思えました。だから、本当に仲間を大切にしてほしい。チームを好きになればもっともっとまとまれると思います。インカレまであと2か月もありません。応援に行きたいので、その時いいチームだなとわかるように期待しています。泣いて言いたいことがまとまりませんでした。4月から相馬市立磯部中学校で講師を務めます。全校生徒が50人で、津波の被害を受けた子供たちがいます。陸上部を持つことになったので、まだわからないことだらけですが、ここでの経験を生かして、熱い思いを伝えたいと思います。まだまだ未熟ですがまず1年頑張っていきたい思います。


千葉 緑
私が初めて福大のユニフォームを着て公式戦を走ったのは、1年生の東北インカレのマイルリレーでした。400mhのメンバーの3人のメンバーに入れなくて先生がリレーのメンバーに入れてくれて初めて先輩と走れた。高校のころから雑誌とかで見て、4年間でマイルのメンバーに入れたらいいなを目標にしていました。1年生のときは毎日練習しても先輩に追いつけなくて、先輩の背中をみて遠いと感じていました。先輩の足を引っ張らないように、チームの役に立ちたいと思って頑張りました。1年生のときはただがむしゃらに走っていました。2年生のときはけがで思うように結果が出せず悔しい思いをしました。3年生になって女子の後輩が入ってきて、自分が先輩になったという自覚が芽生えました。自分が先輩になったという自覚は遅かったですが、4年の先輩と距離が近かったので先輩のために後輩を引っ張って4年生が競技に集中できるよう頑張ってきたつもりです。チームがどこへ向かうべきかを教えてくれた先輩のために走りたいと思いました。4年生になって後輩には、先輩の為に走ってくれるような後輩になってほしくて、あまり口で指導するのが苦手なので、あんまりしゃべらずに走っている背中を見てもらえたらと思って黙々と走りました。全日本インカレは震災があって、バラバラのところからみんなそれぞれ練習して集まって、みんなが頑張ってくれて走ることができました。今までは緊張ばかりのインカレでしたが、4年生の時は本当にたのしかったです。4年の最後も走ることができ、マイルで終えることができてよかったです。自分一人で陸上競技を続けることは不可能です。仲間がいるから、一緒に練習をする中でお互いを高めあえます。周りに感謝しましょう。特に福大の競技場は立派で、閉鎖もされておらず、雪かきをすれば1年中スパイクをはいて走れます。こんなよい環境はあまりないので、感謝して頑張っていってほしい。仲間を大事にして走ってほしいです。単調ブロックの武石は、先輩がいなくて3年生1人だけど、短長ブロックからチームを盛り上げて頑張ってほしいです。今後の進路は、講師の連絡待ちです。教師になって今まで学んできたことを子どもたちに伝えたいです。教師になれるよう勉強を頑張っていきたいです。4年間ありがとうございました。



加藤 沙織
今日は私たちの為に卒業式に足を運んで下さりありがとうございます。泣いてしまうことは想定できたので、紙に書いてきました。詰まってしまって下を向いてしまうかもしれませんが許して下さい。
まず私は、4年生正確に言うと3年生の後半から主務になりました。その点で、私たちの学年はいろいろご迷惑をお掛けしました。私の名前が主務に上がった時、自分に自信がなくこんな大役は私には勤まらないと思いました。でも、4年生になるにあたって、自分に何ができるか、後輩に何ができるかを考えて、くやしいけど千葉のように競技で引っ張ることはできない、今まで3年間チームの為にしてきたことが無かったから、ラスト1年はがむしゃらにみんなの為に頑張りたいと思いました。自分の役割は競技ではなく他の形で見せることだと思って決意しました。福島大学陸上競技部のように大きな組織にいると、自分を見失ったり、人数に埋もれてしまうかもしれません。だけど、みんな一人ひとりいい個性をもっているからチームの為に色を放って欲しいです。私は卒論で「学習する組織」をテーマにしました。日々学び続けることでチームがマンネリすることなく、どんどん上で戦っていけるチームになります。1人ひとりが大切な存在です。1〜4年、先輩後輩関係なく意見を出して一人ひとりがチームを引っ張っていってほしい。陸上できる環境は当たり前じゃないと思います。先輩は後輩の為に先生に怒られたり、OGにアドバイスをもらったりしています。3年でそれを見て、4年でそれを体験して今までの先輩たちが私たちの為にして下さったことに気づきました。4年生は完璧ではありません。今の3年生が最初から上手くやっていけるわけではないので、みんなで支え合って絆を深めて頑張っていってほしいです。未熟な主務でしたが、見守って助けてくれてありがとうございました。私もみんなを見ていて頑張れました。みんなも頑張って下さい。今後の進路は、外資系の製薬会社に決まりました。まずは千葉の成田で4か月研修期間を経て、配属先が決まります。全国各地、どこに飛ばされるか分かりませんが、新しい地で新たな出会いを求めて頑張っていきたいです。私の同期は100人いて、みんな優秀なので不安です。会社では下からのスタートになりますが、自分の個性を求めて自分にしか出せない光を放っていきたいです。


浅見 真理奈
1年生から3年生の皆さん一緒に過ごしてくれてありがとうございました。みんなに言いたいのは大会でお手本になれなくて申し訳なかったです。競技で、結果を残せなくて、少し後ろめたい気持ちになりました。後輩や4年生から学ぶことがたくさんありました。4年生の千葉とずっと一緒に練習してきて、千葉の最後まであきらめない姿、辛くてもあきらめない姿を思い出しました。女子は個性的で何でも言ってくれたし、男子は何も言わず支えてくれました。後輩一人ひとりからも学ぶこともありました。中田はいつも目標をもって強さを感じました。駅伝では長い距離が苦手な私に田村は走り方や気持ちも教えてくれて頑張ることができました。一人ひとりあるけれど私が学んでばかりでした。進路は新潟県の佐渡小学校の講師として働くことになりました。被災地からきた子供たちがいると聞いたので福島のことを話して伝えていきたい。自分が子供たちのお手本になれるように今まで以上に頑張りたい。皆さんありがとうございました。


金森 威明
こんにちは。まずこのように話す機会、時間を与えてくれてありがとうございます。4年間陸上部に所属して、4年ではキャプテンとして1年間やってきましたが、自分は何をこの部に残せたかと考えると形で残るものはないと思います。でも、僕には誇れることがあります。僕は一度も練習を休んだことがありません。大きなけがをしたこともありません。少しくらい痛いところがあっても走っていました。4年で自己ベストを4秒更新できたのはきっとそのおかげだと思っています。ここまで頑張ってこられたのは4年生の仲間のおかげです。途中からいけばたに入って…手嶋くんに起こしてもらったりもしました。後輩たちには今、隣、後ろにいる仲間たちみんな一人としてかけることなく最後までやりきってほしいと思います。僕の4年間で伝えたいことは、経験は大切だということです。社会に出るとできない大学でしかできないことはたくさんあります。例えばももりんとか、4時間リレーとか、記録会とか。先生が与えてくださる機会に自ら「僕がやります!」と手を挙げて、ここでしかできない得がたい経験を全部やってやるという気持ちでいてください。僕にはずっともっている座右の銘があります。「日々これ前進なり」。これは一日一日一歩一歩前進していくという意味です。陸上をやっていると今日はだめ、調子が悪い、ずっと走っているのにタイムが上がらないという停滞の時期が必ずあると思います。でも、僕は停滞の時期こそ自分が変わっていると思います。生きていると必ず停滞の時期がありますが、それを停滞ととらえるか、自分が変わっている時期だと考えるのかは自分の考え次第です。他の4年生がいろんなことを言ってくれたので、この場で他に言うことはありません。今後の進路ですが、青森県のむつ市の消防署に勤務します。地域のために自分ができることをやりたいと思います。まだまだ話したいことはたくさんあります。この後の卒コンで僕のところに来てくれれば話しますので…僕も飲むのでみんなも飲みましょう。ありがとうございました。


吉田 義宏
こんにちは。僕も話すのが苦手なのですが聞いてください。僕が福島大学陸上競技部に入ろうと思ったきっかけは、出雲駅伝で武藤さんが走っているのを見たからです。そのために陸上部に入ったときの目標は出雲駅伝、全日本大学駅伝に出場することでした。1・2年生のときは、先輩方がけがをなさったり辛い時もありましたが、3年生は飛躍の年となりました。出雲駅伝への出場もできました。4年生になってからは一番上の立場でチームを支える際に、いろいろの人に支えてもらってやってきました。4年生では震災があって、僕は実家が福島なので、「福島の復興を信じています」という言葉が溢れましたが、原発の事故もあり、何を信じればよいのかわからなくなりました。そんなときに、次の世代が頑張っていかなくてはいけないのだなと感じました。震災後に練習が始まって、大学駅伝に今年は選抜チームが出ることを知り、走りで東北も頑張っているんだということを見せようと思いました。予選会では調子はよくありませんでしたが、条件がよかったのと、みんながきてくれたので力を出すことができました。大学駅伝の当日は応援がすごくて…。中継所でお客さんが「福大だ!福大だ!」といって、見ていたおばちゃんがわざわざパンフレットで「どの人だ?」と言ってくれたりしました。この4年間は、本当にみんなのおかげでやってこられたと思います。今後の進路ですが、僕は福島大学院に進みます。そして将来は、現在元気のない福島、僕を育ててくれた福島を少しでも元気にできるような仕事につきたいと思っています。ありがとうございました。


亀田 咲絵
まず、去年震災があってからこのように卒業の日を迎えられて、嬉しい気持ちといろんな思いがあります。6歳の時、神戸で震災を経験してそのときの揺れはまだ思い出します。昨日も揺れましたが、その時も思い出しました。3月11日にみんなもいろんな怖い思いをしたと思います。いろいろな思いで1年間過ごしてきたと思うので、それぞれもっている思いを大切に過ごしていってほしいです。口下手なので、今何を言っているかわからないんですけど…私が入学したとき、800Mで全国入賞したいという思いで福大の陸上部へ入りました。2年の時先生にお願いして長距離ブロックに移りました。そして1年の時に人数が足りなかったから駅伝を走りました。その時の4年生の3人の先輩から「ありがとう」「助かる」「一生に頑張ろう」と言ってもらえました。受験が終わって思うように走れなかったけど、駅伝をきかっけにみんなで一緒に練習することが楽しくて、走ることが毎日楽しくて、先輩の背中を追って走るのが楽しかったです。1年の冬にブロックを変える相談をいろんな先輩にして、変える決断をしました。2年の春に盲腸になったりして、その時に走るのが怖くなってしまったが、その時に「駅伝やれるじゃん」と声をかけてもらい、復帰して走ることができました。1、2年のときはひたすら走ることが楽しいっていう気持ちでつっぱしってきました。4年生の時に震災が起こって、自分の考えが未熟だったことに気づきました。今まで、自分の為とかみんなの為に走ってきけど、走ることでみんなに元気を与えられたらと思うようになりました。実家に戻って、何もできない自分にモヤモヤしていました。先生の活動を通して、今まで陸上ばかりやっていた自分を成長させて、一人でも多くの人を幸せにして、社会に貢献できたらと思いました。まず4年として全カレと駅伝に福大のユニホームをきて走ることで、テレビの前の人や沿道の人に遅くても自分の頑張る姿を見せたくて頑張りました。4年の時は逆に後輩や先生OGの方心配をかけてしまいました。何とかチームの為にみんなで襷を繋ぎたかったけれど、最後まで繋ぐことはできなかったけれど、繋げたいという思いで走れたので良かったです。話すのが苦手だけど、それも上手にしたいと思います。神戸でも福島でも、また岩手でも現状を見てきたので、これを伝える為にも話すのを上手にしたいです。神戸のスポーツクラブなどで空いているときに携わることになったので、福島・岩手の人に何か支援したい気持ちを伝えたところ継続的に支援していけることになりました。神戸からの活動を通して福島と繋がっていきたいと思います。進路ですが、スポーツメーカーに勤めます。3月31日から研修が始まります。務めるのは関西支社の尼崎なので福島からは大分離れてしまいますが、全カレや駅伝は応援に行きたいと思っています。お金を貯めていっぱいいっぱい帰ってきたいと思います。本当にありがとうございました。


小林 利匡
こんにちは。先ほど吉田君がすごくいい話をしてくれたので、僕は何を話したらよいのかと思いましたが、僕はみんなに笑いを届けられればいいと思うので、そういうことを話します。4年間を振り返って今の自分がここにいるのは、先生や親、兄弟、仲間など、人のおかげなんだなと感じます。僕が福島大学に入ろうと思った理由は、もともと大学進学を希望していたのですが、金銭的な面やいろいろな面で大変そうだというときに、僕の高校の福島大学を卒業された先輩から福島大学のことについてお聞きして、福島大学が僕にとっていいことを知りました。希望していた教員免許もとれるし、陸上が強いし!これは福大しかない!と思って、いろいろな方に相談をしましたが、大変なことだと反対されました。でも僕はどうしても福島大学にいきたいと思い、親に相談してなんとか福島大学にくることができました。福島大学に入学して、投擲ブロックの先輩方は強くて、下から入ってくる後輩たちはかわいくてユニークで、手におえないこともありました。先輩方がご卒業されて悩んだときも、後輩がいたからここまでくることができました。ここにいるのは本当にみんなのおかげだと思います。僕が言いたいのは、人のつながりは大切だと叫ばれていますが、そんなのは当たり前のことで、先生もおっしゃっていましたが、それよりも人の信頼関係が大切なのだと思います。第一印象とそのあとの関係、それによって自分の見える世界が変わります。人の助けを得るときには、自分もそれなりの誠意を見せなくてはいけません。今後の進路についてですが、僕は今のところ未定となっています。福島市内で働いて教員を目指すための勉強を続けたいと思っています。市内にいるので何かあったら誘いますので、そのときは断らずにぜひ受けてください。4年間ありがとうございました。