卒部式のひと言 2010年3月卒部

加藤 祐介
 こんにちは。1年生の時はこのように卒部式で前に出て話している先輩方を見ていて、いつか自分もこのように話す日が来るのかなと思っていたんですが、いつの間に自分が話す側になっていました。今日、大学を卒業し、同時に陸上競技者からも引退します。小学5年生から中学、高校と続けてきて、今までの人生の半分の時間、陸上をして過ごしてきました。その間にあったことは言葉に出来ないほどいろいろあり、忙しい生活の中から卒論などで陸上がいつの間にか消えていて、暇な時は「あれ?おかしいな」と思います。約12年の陸上生活の最後の4年をみんなと一緒に福島大学でやってきて、いろいろ学ぶことが出来ました。今日で卒業なので、今日までは陸上部員として、明日からは先程の川本先生のお話をふまえ、社会人として過ごしていきます。4年間楽しかったです。みなさんありがとうございました。進路は、福島県警に決まりました。なので、まだまだ走ります。しかも赴任先は蓬莱団地の方なので、この辺りを走っていると思います。大会でも、100mに1桁2桁増えた種目に出て走っているかもしれません。市民ランナーとして頑張ります。週末は、来られると思うので、みんなの顔を見に来ようと思います。その時はよろしくお願いします。大会も見に行きます。僕はトップバッターなので、このくらいにして、後の4年生には感動的な話をお願いしますね。

傍島 英臣
 こんにちは。今日が卒業の日かと思うと嬉しいのか悲しいのかよくわからない気持ちです。 毎年、卒部式で先輩たちが4年を振り返って話すのを聞いて自分がどんな事を話すのか考えてました。川本先生もおっしゃっていたように、この4年間この学年は、反省すべき点が多かったと思います。けれど、この4年生のメンバーに出会えてこのメンバーと練習を共にして自分を変えることができて感謝しています。先日、就職先の説明会がありまして、初めて同期と顔を合わせましたが、その同期の人たちとこれから先どんな楽しいことが待っているのだろうと思えたのはこの陸上部の同期と後輩のおかげだと思います。4年前の自分では無理でした。自分はハードルをやっていて一人で練習をすることが多かったのですが、一人でやっていた感じその時に受けなかったように思います。そう感じることができたのは、今の4年生がいたからです。最後の大会で、ベストを出せたことは嬉しかったですがそれ以上に皆が喜んでくれたのが嬉しかったです。最後に今後の進路についてですが、地元の岐阜県で消防職員として働くことになりました。これからは一社会人、一消防士人として頑張っていきたいです。そして、この福島大学で学んだことを生かしていきたいと思います。ほんとうにありがとうございました。

紺野 可奈子
 こんにちは。今日は寒い中、温かいエール本当にありがとうございました。土屋が夢に出てきそうです。私は、入学試験の面接の時に、全カレで入賞したいと先生に言いました。インターハイでも入賞していたので、大学では表彰台に上りたいと思ってやってきました。私が1年生の時は、熊谷さんや栗本さんがいて、2年生のときには松田さんがいて、3年生のときには青木さんがいました。4年生になって、1年生の時に見た栗本さんのようにならないといけないと感じました。 松田さんは厳しかったのですが、松田さんは自分にも厳しい人で、そのような姿勢を学びました。インカレの決勝で走った結果が、表彰台に立つという結果ではなく、みんなには申し訳ない思いでした。しかし、自分の走りで感動しました、と言ってくれる後輩がいて、良いところを見せることができて本当に嬉しかったです。私も小5から陸上をやっていました。その頃は、どんどん記録が伸びて、両親にも見てもらいたくて、陸上競技が楽しかったです。大学ではなかなか記録が伸びず、両親に応援してもらったにも関わらず、見られたくないと思うようになっていました。そういった面でも心配をかけていたのに記録出せなくてつらいと口に出してしまい、親に申し訳なく思っていました。しかし、最後の最後で、4年生になってからは応援に来てと言えるようになり、両親だけではなく姉も応援に来てくれて、家族の温かさを感じました。 4年間いろんなことがありましたが、これから生きていく上で、大切なことを学んだ4年間でした。 私の話はこれで以上になります。これからの進路なのですが、教員採用試験で正規採用されるように勉強したいと思います。東北インカレと採用試験の日程が被るので、観に行けないかもしれませんが、大学や試合には行きたいと思います。 4年間ありがとうございました。

藤田 範子
 こんにちは。今日は悪天候の中、あたたかいエールを送ってくれてありがとうございました。私が福島大学に進学したいと思ったのは、高校1年生のときからです。強いチームで陸上がしたかったので、そのために勉強も競技も頑張ってやってきました。入学して、陸上部に入って、やはり横のつながり、縦のつながりが強いチームだなと思いました。私は小学校の時から陸上をやってきたのですが、小学生の時は一人で練習し、中学生の時もほとんど一人で練習していました。私が通っていた中学校は、僻地にあったので、休みの日は隣の中学校まで行って練習していました。高校の陸上部はそこそこ強かったのですが、ブロックごとに確立していて、個々で練習しているかんじでバラバラなチームでした。だから、大学ではチームで戦えるところに行きたいと思いました。私は、4年間で試合にはあまり出場できず、スタンドから応援することが多くありました。、選手たちがその応援に応えてくれるのがとても気持ち良かったです。私は競技では貢献できませんでしたが、後輩たちが色紙にあたたかい言葉を書いてくれていて、私もチームの役に立てたのかなと思いました。話は変わりますが、小学生のとき日清カップに出場し、そのときに紺野と一緒に走っていました。あの場であっていたんだなと思うと不思議な気持ちです。前に実家に帰った時に、久しぶりにビデオを見たのですが、紺野と一緒にばっちり映っていました!それを見て、この10年で、少しは成長できたかなと思います。そして進路についてですが、夢だった教師になれるように勉強していきます。川本先生が、福島の陸上を盛り上げるという仕事をしているように、私も地元の滋賀の衰退している陸上競技を若い力で盛り上げたいです。福島大学で培ってきたものを糧にして、頑張っていきます。最後に4年生のみなさん、中途半端な私でしたが、4年間あたたかく見守ってくれてありがとうございました。後輩のみんなも、いたらない先輩でしたが、明るく接してくれてありがとうございました。これからも陸上競技を通して、つながっていられたらなと思います。4年間ありがとうございました。

石川 孝昌
 こんにちは。今日は寒い中熱いエールをありがとうございました。嬉しかったです。この日のために何を話そうか考えてきたんですが、まず自分の4年間について話そうと思います。入学して初めての福陸のブログに、好きな言葉は「一生懸命」、嫌いな言葉は「妥協」と書きました。それをモットーに4年間やってきました。陸上を4年間、ここまで一生懸命になれたのは、400mが大好きだったからです。福島大学にいたからです。好きなことを努力している人は、輝いていて、たくさんの人に感動を与えられます。口で言うより行動することが周りの人の心を動かすのだと思いました。4年間頑張ってこられたのは、大切な仲間と辛いことを一緒にやれたからで、一緒にやっているとどんどん相手の気持ちが分かってくるのだと思いました。正直、練習はきつかったし、でも同じ練習を一緒にやっている仲間がいたから、仲間が辛いのも分かったし、仲間が大会でいい結果を出すと嬉しかったです。これだけ他の人のことで喜べるのは陸上以外ではなかったし、やっぱりそれだけ仲間のことが好きでした。辛い時に助けてくれるのは仲間でした。早口で、何を言っているか分からなかったけど、僕のいいところを言ってひたすら励まして支えてくれる仲間もいたし、何も言わずに真剣に僕の話を聞いてくれる仲間も、汚いトレーナーを差し出して、涙を拭ってくれた不器用な仲間もいました。本当にありがとう。進路は、愛知県の岡崎市のカワイ体育教室幼児体育インストラクターになります。すでに、3月のあたまから働き始めているのですが、そこに来る子供たちはやる気があり、自分の好きなことに一生懸命で、輝いていて格好いいです。幼い子供だけど見ていてそう思います。子供と運動が大好きなので、やる気のある子供たちに負けないように僕も頑張っていこうと思います。みんなも福島大学で陸上をやりたくて入ってきたと思うから頑張ってほしいです。4年間ありがとうございました。

小西 航
 皆さんこんにちは。ちょっと早口で何を言っているのか分らなくなるかもしれませんが、すみません。何を言おうか考えてきました。緊張で何を話しているか分からなくなると思いますが、聞いてください。 僕は本当に、入学して4年間ここまで続けられたことが奇跡だと思います。僕は最初から、プライドが高く、頑固でわがままで、良いところがなく、周りに迷惑をかけたと思います。 2年で怪我をしてどん底に落ち込んで、何もしなくなったりしていて、みんな練習していても、倉庫にこもったりしていました。人を信じることが出来なくなって、どうして自分がここにいるのか3カ月くらい考える時期がありました。そんな中で、周りの同じ学年が支えてくれていました。短長の石川、只木、清水が特に支えてくれていて、とにかく何があっても練習に来ることができました。3年生になり、やっと競技で恩返しできたと思いましたが、4年生でまた怪我をしてしまい、申し訳ないと思っています。しかし、皆さんが、僕がどんなにわがままでも励ましてくれたおかげで頑張ることができました。 高校の先生に言われた大好きな言葉があります。「辛いという言葉に、1本線をプラスすると、幸せが待っているんだ。」高校の頃は何を言っているのだろうと思っていましたが、大学に来てこの言葉の意味を知りました。 今後の進路は、筑波大学院に進学します。隣の県なので、たまには福島に遊びに来るかなと思います。 最後になりましたが、10年間競技をやってきて、何よりも家族に感謝しています。両親がきっとHPを見ると思うので、この場で両親に、「ありがとう」と伝えたいです。 先生、OGやOBの方々、本当にありがとうございました。 これで僕の話は終わります。

只木 佑弥
 こんにちは。さっき、短長の石川が、話の中の「仲間」という言葉から泣き出し、それにもらい泣きをし、続く二人の話からももらい泣きをし、言いたいことを完全に消し去っていきました。この4年間で、仲間の大切さを実感しました。僕はマイルリレーをやってきたので、マイル関係の話をしたいと思います。今までは、仲間というものを意識していなかったため、大学でもリレーより個人という考えでした。しかし、大学では、だんだんマイルの方にも力を入れるようになり、目標に向かってみんなで頑張っていました。僕は周りに比べると、競技力があまり高くなかったため、始めは決勝ではメンバーとして走ることができませんでした。悔しい思いをし、自分にできることをしよう、と心の底から思ってやってきました。マイルの決勝は、大会の最後の種目になります。マイルメンバーとして決勝を走れた時、応援の人数が多く、良い順位でバトンを持って行こうと気合を入れることができました。試合前の不安な時も、熱く応援してもらって頑張ることができ、仲間の存在は大きいと思いました。高校の校長先生のお話で、「青春とは、汗であり、涙であり、微笑みであり、喜びである。」というものがありました。僕にとっては、マイルをやってきたことが青春だったのかなと思います。まとまりのない話なのですが、詳しく聞きたい方は個人的に聞きに来て下さい。今後の進路ですが、首都大学東京の大学院に進学し、心理学を勉強していきます。東京に来た時は、是非遊びに来て下さい。最後に、マイルメンバーの一人の名言を使わせてもらうと、「みんなを愛してる」。以上です。

矢内 将善
 みなさんこんにちは。僕は編入ということもあって、この部にいたのは、2年間という短い期間でした。編入という特殊な入学方式だったので、それについて話そうと思います。福島大学を選んだ理由は、高専に福島大学のOBの根本先生がいたからです。1年の春休みに福島大学に来て練習する機会がありました。挨拶などがすごくしっかりしていて、圧倒されました。9時くらいにグランドに行くと、トイレの掃除をしていて、地面に手をついて雑巾かけをしていて、衝撃的でした。僕は今までトイレをそんなに綺麗にしたことがありませんでした。「手伝います」と言うと、ウェイトルームを手伝うように言われたのですが、すごく綺麗でピカピカで、プレートも1枚1枚綺麗に拭いていて、高専のウェイトルームには土足で入っていたので衝撃的でした。高校2年生の時、疲労骨折になってしまい、いろいろなことが上手くいかなくなり、ケアなど自分のことばかりしていました。ある日根本先生に呼ばれ、すごく怒られ、高専での1年を全て否定されたような気分になりました。心の中をガツンと殴られたようで、何も言い返せませんでした。「チームのために出来ない奴はどんなに強くても俺は使わない」、「心を変えろ」と言われ、頭が真っ白になりました。どうすればチームのために心を変えられるか、すごく考え、ノートに「変われ、変われ…」と書いたりもしました。チームのために思いついたことをやろうと思い、福島大学に行ったことを思い出して誰よりも早く来て泥だらけのウェイトルームを、膝をついて雑巾かけをしました。何日も続けているうちに、なんで綺麗にするのか、なんでグランドの石を拾うのかを考えるようになって、綺麗になればいいだけでなく綺麗になればやる気が出るし、汚ければモチベーションが下がるというふうに、少しずつ考えるようになりました。自分が変わったという実感はなく、本当に変われたかもわかりませんでしたが、自分が続けていくなかで自己ベストも出すことができたし、高専を卒業するときに根本先生が色紙に「5年間ありがとう」と書いてくれました。チームに何ができたか分からないし、自分が変わったかどうかも分かりませんでしたが、競技を続けようという気持ちがあったので、陸上をやるなら変わろうと思えたきっかけだった福島大学で続けたいと思い、ちょうど理工学部ができた時だったし編入の募集が来ていたので入学しました。こっちに来て、2年間様々なことがあり、今まで生きてきて最も濃い2年間でした。もちろん辛いことや苦しいこともありましたが、それ以上に嬉しいことがたくさんありました。根本先生が言おうとしていたことが福島大学に来て、なんとなくわかるようになりました。川本先生やOGの方々と接していて、高専で学んだことが明確に理解できてきて、今まではチームのためだったものがこれからは社会のため、人のために何かやりたいという気持ちになれました。僕が変わった実感がなかったように、そういうものは形として出て来ないものだと思います。昨年の女川での試合の前、親に大学で最後の試合ということや、マイルの連覇がかかっているということを話していたので、姉から「大学最後の試合らしいね。私は応援行けないけどがんばれ」とメールが来ました。少し意味深だなあと感じつつ、「ありがとう、頑張るね」と返しました。試合の日、グランドの端でストレッチをしていたら、「予選、随分かたかったな。」と、聞きなれた父の声をがしました。内緒で来てくれたんだなと思い、今まで自由に陸上をやってこられたのは親のお陰だということが身に染みました。節目として、この大会が終わったら感謝の気持ちを伝えるつもりでした。この試合では、マイルで石川と松岡がトップで回して来て、松岡がラストの100mを走っている時、3走の只木がレーンに入り、目を閉じて胸に手を当てていました。只木は怪我をしていて思うように練習ができずプレッシャーもあったと思うけど、その祈っているような姿を見て、もうこれは勝つしかない、絶対1位で持ってくるという気持ちになりました。しかし只木のバトンをもらって走り始めると、前半に突っ込みすぎてしまい、ラストで抜かれてしまいました。両親に良いところを見せられず、どのように伝えようか迷いながら、帰りのバスに乗る前に連絡をしようとして携帯を見ると、メールが1件来ていました。それは父親からで、「力を出しきった姿、感動しました。良い仲間に巡り逢えて良かったね。ありがとう。」と来ていて、「ありがとう」という言葉は自分が言いたい言葉だったのに反対に言われてしまい、福島大学に来て陸上をやり、変われたということなのかなと思うことができました。2年間だったけど、「仲間」と言ってくれる仲間ができ、本当に嬉しくて幸せ者だなと思いました。進路についてですが、福島県白河県南建築事務所に行きます。福島と白河だと少し遠いですが、時間を見つけて会いに来ます。これから3年生以下は、シーズンに入りますが、卒業してもみんなのことはずっと応援しているので、これからも頑張ってください。今日は本当にありがとうございました。

清水 未来
 こんにちは。一年生の日から4年、卒部式の日に自分が何を話すのか考えていましたが、今この場に立つと一人ひとりの顔がよく見えて何を話していいかわかりません。こういったことも最後だと思うと淋しいです。4年前に推薦で入って、いわきの合宿から参加して、600mのメニューを川本先生に出していただき100m22秒ペースで走ることになりましたが、先生には「そんなタイムは屁みたいなタイムだぞ」と言われ、すみません と思いながら走り方もわからず、ただこなしていました。そんな屁みたいな自分からスタートしました。丹野さん、青木さんなど、偉大な先輩がいらっしゃる中でその後ろを走って大きな大会に行く先輩を見送り、男子と一緒に練習をしていました。これは私の駄目なところなんですけど、1年生の時に後ろを走ることに慣れてしまいました。けれど、2年生になって入ってきた1年生が大きな変わるきっかけになりました。後輩は積極的でやる気があって、自分もやる気がなかったわけではないですが、いろいろ聞かれてどんどん吸収していく1年生を見ていて私も 頑張らなくては と思いました。1年生のころの自分はあと1本が頑張れない人だったのですが、最後の1セットを頑張れるようになったり、苦しい顔をしないでに励ましあうことができるようになっていきました。やはりそういう生活がなくなってしまうことは淋しいですが、4年間、3年間、2年間、1年間を皆と共にした思い出がたくさんあるので卒業してからも頑張っていけます。この福島大学陸上部には変わるきっかけがたくさんあります。変われるかどうかは自分次第ですがタイムが出なかったり、怪我で悩んでいる人を見たらその人がきっかけを掴めるように声をかけてあげて、また、そういったアンテナを巡らせて充実した生活を送っていってほしいと思います。今後の進路は長野の高校で常勤の講師をやることになりました。ここで学んだことを生かせるように頑張っていきたいと思います。4年間ありがとうございました。

神谷 卓真
  こんにちは。まず進路についてですが、仙台の東北大学院に行くことに決まりました。自分は球技、走ることもそんなに得意でもなく運動はできないのですが、陸上を小学校、中学校、高校と続けていくうちに運動が好きになり、大学でもスポーツについて興味がわいてきてそれが進路につながっていくことになりました。大学院でも運動について勉強を頑張っていこうと思います。陸上からいろんなものを学んで、それは進路に影響を与えましたが、もっと大切なものを学びました。4年間1500mを中心にやってきて、1年生の時は勝ちたいと思うだけだったのですが3年、4年となるうちに気持ちが変わってきました。男子の1500mはどの大会でも1番最初に決勝があって、そこで入賞することは、チームにいい影響をもたらします。なので、去年瞬と三澤3人で今年も瞬と小郷で決勝に行けたことは勢いをもたらすことができて嬉しかったです。このように勢いを考えられるようになったのは仲間のおかげです。1年の東北インカレの時は入学して間もなく、体も出来上がっていなくて、出場させてもらったのですが予選で落ちてしまいました。しかし、3と4分の3周の間に福大の皆が応援してくれ、特に山下さんの声が山下さんの声だとわかるくらいの大きな声で必死に応援してくれて70人80人いるチームではありますが、ブロックだけではなく一丸となっている気持ちが仲間同士の絆を強くしていると感じました。先生が「烏合の衆」になるなとおっしゃっていたように、ブロック関係なく一人一人が選手に対して1対1の応援をしているのではないかと感じました。自分は主務として1年の冬からやってきましたが、チームを支える役割ではありましたが、逆に支えられることも多くあり、他の人以上にこの部のつながりを経験できたのではないかと思います。このチームでやってきて一つのブロックで同じ練習をしている人だけではなく、短距離も中距離も長距離も跳躍も投擲も、すべて一丸になって1つの目標に向かって練習することのできる素晴らしいチームだと思います。そんなチームで4年間やってきていろいろな人とかかわり、いろいろな経験をさせてもらって、多くのことを学ぶことができ、卒業の日を迎えることを嬉しく思います。このチームで4年間やってきたことを誇りに思って頑張っていこうと思います。本当にありがとうございます。

長井 健
 こんにちは。僕は、人前で話すのはあまり得意ではありません。前々から考えることはせずに、みんなの話を聞いて、何を話そうか考えていました。1年生の時、ブロック長をなさっていた千葉さんという方がいました。僕は高校時代から怒りっぽい性格で、みんなにからかわれるとすぐに怒ってしまう人でした。イライラしている時に、千葉さんにご飯に誘って頂いたのですが、何故か断ってしまいました。その時千葉さんは、諦めずに何度か誘って下さったのですが、そこで僕が怒り出したことで、千葉さんに怒られてしまいました。その場ですぐに謝れば良かったのですが、謝ることができませんでした。でも、その日のうちに謝ることができたおかげで、今でも千葉さんには良くして頂いています。千葉さんのおかげで、今僕はここにいます。千葉さんは、何故僕が怒ってしまったのか、理由を聞いてくれました。そして、「そんなの気にするな。そんなことを言われても怒らずに、笑って過ごせるような、でっかい男になれ。」と言って下さり、とても格好良かったです。もう1つ言いたいことは、みんなに感謝しているということです。これからの進路は、宮城県の栗原市の消防署で、消防士として働くことになりました。宮城県は、20年以内に大地震が来ると言われているので、日々精進していきたいと思います。ありがとうございました。

新田 和樹
 こんにちは。僕が主将になって9か月、実際は教育実習で1か月抜けていたので8か月間、駒田さんなど上の代の先輩方にも迷惑をかけて、さっき川本先生は門出の話なのでもっと頑張れよ、という話をして下さいましたが、4年生としてどこまでできたか先生に言われ、僕たちは全然できていなかったと思いました。大学でも長距離、駅伝をやりたいと思い入部し、4年間頑張ってきて、1年の時は自分が強くなればいいとしか思っていなくて、2年になって先輩がやってくれたことを下の学年に伝え、もっと見てあげなきゃと思い、3年になってもっと頑張ってやると思い、ベストが出て、4年になって僕たちの代は始めるのが遅く、先生にキャプテンをやるように言われた時はやる覚悟はありましたが足が震えました。どっかで自信がなかったのかもしれません。体調を崩して抜けてしまったり、全カレも行けなかったり、なんでこんなことしているんだろうと思いましたが、その時に4年のみんなががんばろうと言ってくれたり、後輩が頑張っている姿を見たりしていました。最後の大会で、あの時僕は出られませんでしたが、みんながすごく頑張っている姿が羨ましかったし、みんながベストを出していて、チーム全体で盛り上がってやっているな、と思いました。いろいろな経験が出来た最後の年は有難かったです。みんなのお陰で今この場に立てていると思います。1つ1つ言うといろいろありますが、みんながついてきてくれたからここまでこられたと思う反面、まだまだもっと先輩はやって下さったと思うので、みんなには申し訳ないと思っています。今から何ができるかと考えると、何も出来ませんが、3年生のみんなはこれから4年生になります。新体制で頑張って下さい。辛い時に支えてくれた4年生のみんな、ありがとうございました。進路は東北理工工学研究科理工学専攻に進学することが決まりました。リハビリ関連の支援をし、人の役に立ちたいと思いこの分野を選びました。陸上は出来る限り、続けていき、みんなの頑張る姿を見たいと思っています。東北地区でまた会うことがあるかもしれないので、その時は負けないように頑張ります。ありがとうございました。

瓜生 朱音
 こんにちは。4年間どうもありがとうございました。大学4年間で陸上をやってきて学んだことは、「やればできる」ということです。1500mでは、4年生の1年間で9秒も更新できました。全日本大学女子駅伝では、繰り上げではなく、襷をつなぐことができました。1500mではもっとやれば伸びたかもしれませんが、やりきれないこともあったのだと思います。今は新しいチームで練習しています。そのチームのコーチは、大学でやってきた川本先生のポン・ピュン・ランを取り入れています。大学でその走り方を学んできましたが、自分のものにすることができませんでした。1年生の時からドリルが苦手で斎藤や紺野に教えてもらっていましたが、完璧にできるようになるまでやるわけではなく、最後までやりきることができなかったことが私の悪いところでした。1つのことを突き詰めて継続してやりきることが大事なのだと思いました。今後はこういったことがないよう、しっかりとやって行きたいと思います。 もう1つ、達成できたことは駅伝で襷を繋ぐことができたことです。平元、古瀬、舞、鵜飼とやって来ることができて良かったです。舞、鵜飼は病気になり、途中でやめてしまいましたが、平元と古瀬とは長く頑張ってきました。今年は4年間の集大成として、私たちが引っ張り、後輩たちとも頑張ってきました。襷を繋ぐために、一生懸命頑張ってきました。私は去年1区を走りましたが、今年も1区を走ることになりました。1区の私が良い順位で襷を繋ぎ、良い影響を与えることができれば、2区以降のみんなが楽になると思い、練習にも一生懸命取り組むことができました。その結果、持っている力は出しきれたと思います。仙台まで綿密な計画などを立てて、わざわざ応援しに来てくれて、ありがとうございます。本当に嬉しかったです。 みんなのお陰様で、みんなが自分の力を引き出してくれて、仲間の存在が結果につながったのだと思います。誰かのために走りたいという強い気持ちを持つと、更に力は出し切れるのだと思いました。 今後の進路は、東京の第一生命で陸上を続けます。今はそちらの練習にも行っています。私は今まで短い距離しかやったことがなかったため大変ですが、みなさんとの差はありますが、自分が出来ることを1つ1つ、継続して頑張っていきたいと思います。 地元は福島なので、夏や冬に帰省した時は、大学に来てみんなと走り、成長した姿を見せたいと思います。 お互い頑張りましょう。ありがとうございました。

平元 舞
 こんにちは。今日は寒い中熱いエールをありがとうございました。こうやって、みんなと顔を合わせるのも、最後かと思うと寂しい気持ちでいっぱいです。幼稚園の頃から走ることが好きで、走ることは朝起きて顔を洗うのと同じように私にとって日課だったので、その陸上から離れるということは、心に穴が開いたような感じがします。小学校から陸上を始め、中学、高校、大学と陸上を続けてきてそれぞれ思うことはありましたが、大学で仲間と陸上をしたことが1番成長できたと感じたことでした。東北インカレで初めて1500のレースに出た時、フィールドで競技をしている先輩や、他のみんなも熱い応援をしてくれ、あんなに応援されながら走るのは初めてだったので、走りながら鳥肌が立ちました。私の結果は良いとは言えないものだったのに終わった後、先輩方が声をかけて下さり、福島大学の陸上部にきて本当に良かったと思いました。そしてこの陸上部の為に、私も何かしたいと思い、4年間頑張りました。駅伝では、1年で初めて全日本大学駅伝に出場しました。高校でも全国駅伝を目指してやっていましたが3年間出場できず、大学では4年間全国を目指して頑張ることができました。仙台でやる試合にみんなが応援にきてくれて、走る前に仲間が応援してくれ、走っている時もずっと応援が聞こえ、応援が私を後押ししてくれました。競技では何も残せませんでしたが、素晴らしい先輩方や最高の仲間、かわいい後輩たちに会い、ここで陸上が出来て幸せに思います。春からは千葉県八千代市の西高津小学校に勤めます。小学校からの夢だったのでその夢が叶い、今は嬉しい気持ちとやっていけるのかという不安な気持ちがあります。私は学校生活で素晴らしい先生や最高の仲間と出会えたから今までやってこられたと思っています。これからは先生、社会人として今まで私が育ててもらった分、社会に返していきたいです。陸上が好きなので、応援したり見に行ったりしに行こうと思います。頑張ってください。今まで本当にありがとうございました。

古瀬 麻美
 こんにちは。今日は本当に寒い中、皆さんエールを送って頂き、ありがとうございます。手嶋のカメハメ波は、バッチリ面白かったです。 緊張する人なので、少し話が飛んでしまうかもしれませんが、聞いてください。 私が大学生活で1番思ったことは、考え方が大切だということです。高校時代のモットーは、「努力は裏切らない」でした。しかし、大学に来て、努力だけでは足りないということに気付かされました。仕事も人生も結果も、その人の能力と、努力と、考え方の掛け算なのだと思いました。先生は、心が変われば体も変わる、と言っていますが、それは本当なのだと感じました。情熱を持って努力すると、考え方がプラスになり、結果が得られますが、どんなに努力をしても、マイナスの考え方をしていると、全てがマイナスになってしまいます。 私は3年生の後半から本当4年生にもたくさん迷惑をかけて、いつも下ばかり見て、皆に助けられてばかりいました。ずっとそこから抜け出せなくて、それでも皆は見捨てず励ましてくれて、4年生でしっかりとタスキをつなぐことができました。駅伝の前も引きずっていて、なんで自分がこんなに駄目なんだとか、皆よりも走っているのに記録が出ないんだろうとか考えて、楽しいこともたくさんあったはずなのに、マイナスの考えが悪い方へ悪い方へと流していました。でも皆がいて、その時に笑ったりして励ましてくれました。駅伝が近づいてきて周りの皆が「頑張るぞ」と言っていて、私も早くそこから抜け出したくて、でも抜け出せずにいました。私は凄く練習が大好きで、でもその時には凄くマイナスのところにいて、何故走っているのか分らなくなっていました。ずっと続けていた朝練もできなくなった時期があって、自分は終わってしまうんじゃないか と思っていました。でも、そこでもみんなが助けてくれてまたここに戻ってくることができました。皆にはほんとに助けられてばっかりです。練習でもこれじゃだめだ と思い、何も考えずに、すごく速いペースでやって、凄くつらかったです。ある日、先生にメニューを出されて設定ペースが速くて守れる自信がなく、先生に「そのタイムでやれるかわからないです。」 と言ってしまいました。先生や真希子さんに「まずやってみなさい。」といわれて、私は自分で限界を作ってしまっていることに気づき、まずやってみることが大切なことだと感じました。 2000m4本のメニューが出たときに、神谷にペースメーカーをしてもらい、絶対設定タイムを守るんだと心に決め、走り抜くことができました。講義で練習に遅れた時にも、こんなメニューは一人では無理だ思った時に、瞬が別の用事で遅れてきて、違うメニューが出ていたにも関わらず、ペースメーカーをやってくれて、仲間というものは、本当にすごいものだと感じました。今言ったことはほんの一部であり、私は本当に仲間たちに助けられてきました。そうやって皆と一緒にやってきて考え方がどんどんプラスになっていきました。体が変わるには3ヵ月かかるので、私は間に合いませんでしたが、マイナスのときを神様が見ていたのだと思います。4年生でベストを出すことはできませんでしたが、最後にタスキをつなぐことができ、頑張ってやってきて本当によかったと思いました。みなさんにも仲間は本当に大切にして欲しいと思います。些細なことでも、誰かのためになっていることがあります。みなさんは情熱もあるし、プラスの考えがあればどんどん伸びていくと思うので、頑張って下さい。 これからの進路ですが、京セラの陸上競技部で、実業団の選手として続けられることになりました。昔から、オリンピックに出るという夢があります。大学に入った時は、真希子さんに「来るところ、間違えたんじゃない?」と言われましたが、これからめちゃめちゃ頑張って、プラス百点の考え方にしていきたいと思います。みんなも、実業団の人に負けないくらい頑張っているし、その才能はあると思います。一緒に頑張りましょう。今日は本当にありがとうございました。

菅野 峻介
 こんにちは。まず、寒い中熱いエールと胴上げをありがとうございます。僕は4年間ではなく、3年間福島大学で陸上をやっていきました。この福島大学には陸上をやりたいと思って進学を希望しました。高3の頃僕は受験勉強をしていたのですが、父が仕事中に足を怪我して入院してしまい、上の兄弟2人はすでに家を空けていて下の二人はまだ高校生であったので一人家事に追われていた母を手伝っていました。それから福島大学に進学し、1年時にも陸上が好きだったので走ったり、記録会に出ていたりもしました。しかし満足に仕事ができない親に陸上をやりたいと言いだすことができませんでした。家が落ち着いてきたときに父から「大事な時に手伝ってくれてありがとう。やりたいことがあるならやりなさい。」と言葉をもらって陸上競技部に入部しました。陸上部に入っても結局いい記録を残すことができず中途半端で編入してきた矢内がリーダーシップを持っていてすごいと感じていました。しかし、僕は自分の研究や勉強をしながら練習にはちゃんと出ようとしていたし、この大学に入って変わったことは人数が多くいる中でそれぞれが個性を持っていましたが、皆がいることで支えあっていくことができ、僕は大学で一人で練習していた期間もある分この3年間で仲間の大切さを強く実感しました。話は変わって4月から伊達市の小学校で臨時の講師として働くことになりました。担任をすることになったのですが自分のためになると思って頑張ります。さらに野球部の顧問に配属されるらしく、野球に関する知識は乏しいのですが、まずは自分のできことをやっていきたいと思います。この大学の3年間でこの仲間に巡り合えたことはかけがえのない財産だと思っているので、その思い出を大切にしていこうと思っています。

山口 優
 4年生のみなさん、4年生で1番適当な僕を面倒見てくれてありがとうございました。こんにちは。まず何を話そうか、ネタになることがないかと入学前の3月25日に何をしていたか携帯を見て調べてみたら札幌の公園のベンチで寝ていました。入学当初からチャラチャラしていると怒られ、でも何くそと思って頑張っていましたが、正直1年の時は上手くいかなくてやめたいと思った時もありました。しかし冬季に誰よりも頑張ろうと思い、1回も休まずに、そして誰よりもウェイトを上げようと思い頑張りました。短短・跳躍合同の飲み会の時に、松田さんに話しかけられて「チャラチャラしてる人だと思ってたけど、あんなに頑張って練習してる姿見て、来年絶対記録伸びると思ったよ。こんな後輩持てて幸せだよ」と言っていただき、初めて認められ、松田さんは1番憧れていた先輩だったので嬉しかったです。2年になり、菅野が陸上部に入り、跳躍が4人になり、3人ではぎくしゃくすることもあったけど、この4人だからこそやってこれたし、今があると思います。後輩が出来て、練習しているうちに、吉江は自分が納得するまで練習するし、中島は顔には出さないけどすごく負けず嫌いで、外川は同じ学年に女子1人だけだけどみんなと一緒に頑張ってて刺激もらったし、今の3年生には本当に感謝しています。自分が松田さんみたいな先輩になれたか、と考えた時、嬉しかったのは中島と吉江が試合の時に足見を山口さんにしてもらいたいですと言ってくれたことで、自分は何もしていないのにそういう風に言ってもらえるのは幸せなことだな、と感じました。3年の自分の誕生日の日に耳が悪くなり、めまいや吐き気、耳鳴りがして人が多くいるところや運動することを禁止されて、病院に行く時以外は部屋にこもりがちになりました。4年の東北インカレには出られなかったけどギリギリ出場できた東北個人戦で、久しぶりにみんなが遠くのスタンドから応援してくれる声を聞いたり、足見してくれる齋藤と吉田とか、スタンドから見て応援してくれている人とか、そういった人たちのお陰でジャンプ出来たと思うし、数ヶ月間チームを離れていたから戻れないんじゃないかと思っていたけど、試合が終わり優勝が決まった時に、2年の神谷に「山口さん!」と声をかけられてハイタッチしてくれた時に、チームに戻ってこられたのかなと思い、チームっていいなと思いました。地球上にいる全てに人に会うことは不可能で、4年間同じところにいれるのは奇跡のようなことだと思います。なんで会えたかは、私が求めていたからで、みんなが私が持っていないものをもっていて、それに惹かれたから出会えたのだと思います。この部での思い出は一生の思い出になります。この縁を切らずに、しっかり繋いでいきたいです。話は尽きないのですが、4月からは千葉県の野田中央高校で体育教師になり、陸上部の長距離と跳躍の顧問になります。しっかり強くして、みんなにいい報告が出来ればな、と思います。4年生は4年間本当にありがとうございました。1、2、3年生は今何ができるのか、しっかり考えてやっていってほしいと思います。頑張ってください。ありがとうございました。

斎藤 羽純
 こんにちは。今日何を話そうか考えたのですが、私は涙もろくて、自分の陸上競技のことを話すと泣いてしまうので、嬉しかったことを話したいと思います。3年生のときの介護体験のことなのですが、そこには重度の認知症の方の部屋と、軽度の認知症の方の部屋があって、私は1日目から重度の認知症の方の担当になりました。どうしようと思って、まずは介護士さんがやっているところを見て、それからおじいさんの反応を見て、考えてやってみました。お昼休みの時に、介護士のお兄さんに「齋藤さんは腰が軽いね!」と言われて、どういう意味かわからなかったので聞いてみると、「広い視野を持って何かに気付いて行動できるってことだよ」と言われました。そして、「齋藤さん何部?」と聞かれて「陸上部です」と答えると、「やっぱりそうなんだ!」と言われました。私はやっぱりとはどういう意味かと思い、聞いてみると「実は去年来た印象に残っている人がいて…」と去年卒業された駒田さんと角沢さんのことを覚えていました。介護施設には毎週のように体験に来るのに、1年前の人のことを覚えているなんてすごいことだなと思いました。その介護士さんは、まわりをしっかり見れる、わからないことは聞ける、反応を見て行動できると2人のことをほめていました。私のこともほめていただけたのですが、それ以上に先輩はすごいなと思いました。陸上部で学んだことは、社会の役に立つんだなととても実感しました。先輩方のやっていることを見て学ぶことは多くあります。そこで気付いたことをやっていくことは大きいです。それはこれからも役に立つので、後輩のみんなにもその力を身に付けていってほしいです。もう1つ話そうと思ったことは、仲間についてです。私はケガが多くて、4年生のみんなには特に迷惑をかけたり、空気を悪くしたりしてしまいました。それでもみんなはアドバイスをくれたり、後輩を見て頑張らなきゃと思ったり、陸上部の中で本当にみんなに支えてもらってやってこれたんだなと思います。こういう仲間と離れてしまうのはとても寂しいです。本当に辞めようと思った時、みんながくれたメールを今も保存しています。その中でも、小西が食堂に私を呼び出して、周りにたくさん人がいるのに、大きな声で「齋藤やめんなや!寂しいんや!齋藤と一緒に陸上やりたいんや!俺だけじゃない、みんながそう思ってるんや!一緒に卒業したいんや!」と言ってくれたのを、今でも覚えています。私たちの学年からは、瓜生、古瀬が陸上を続けていきます。一番のファンとして応援していくので頑張って下さい。後輩のみんなも頑張って下さい。本当に頑張って下さい。応援しています。泣いたら話が飛んでしまったので、今後の進路について話したいと思います。春からは、小林の母校である、秋田県立大舘国際情報学院高等学校で、講師として働くことになりました。福島大学のOBの400mHをやっていた大須賀先生がいるので、もし陸上部を持つことができたら、近くで学びながら、一緒に頑張っていきたいです。短いのですが、思い出せないのでこれで終わります。ありがとうございました。

吉田 早希
 こんにちは。まずは、みなさんのエール嬉しかったです。私は京都出身で、京都にしか住んだことがなく、4年前に初めて福島の地に足を踏み入れ、気候の違いに驚きました。4月に引っ越して来たのですが、実家は桜が満開で、上着も着なくて良いくらいの春だったのに、福島はまだ冬で、入学式なのに桜もなく、この大学には桜がないんだと思いました。最初は、初めて親と離れての一人暮らしで、環境に慣れなきゃという思いでいっぱいでした。走る練習も、高校時代から得意ではなかったため、最初のうちは本当につらく感じました。そういった気持ちでやっていた1年生は、記録も伸びず、自分から学ぼうともしませんでした。学年が上がるごとに、少しずつ成長していましたが、周りからは分からない程度だったと思います。その時は、自分なりに一生懸命やっていましたが、今思うと、こなす練習でしかなく、過去の自分と比べたり、言い訳をしたりと、自分を受け入れられていませんでした。4年生になる時に、このままではいけないと本気で思いました。3年間はずっと、まだ先があると思っていましたが、ここでやるしかない、やらなかったら一生後悔すると思うようになりました。そこから視野も広くなり、今まで見なかったものが見えるようになり、周りにも気を配れるようになりました。気持ちで、行動や考え方が変わるということが分かりました。気持ちだけでベストが向上するわけではなく、努力や技術も必要ですが、気持ちがなければ何も変わらないと思いました。4年生でベストが出せたことは良かったと思います。この4年間で学んだことは、今後に生かしていきたいです。私は女子キャプテンとしてやってきました。なんとか最後までやりきることができましたが、毎日不安でした。それでも後輩たちは、一緒に頑張ろうとついてきてくれて、私が引っ張るはずが、後輩たちに支えられていました。4年生は特に、見捨てず支えてくれました。それぞれの得意分野で引っ張ってくれて、何気ないことも力になりました。今は感謝の気持ちでいっぱいです。高校時代に、先生に「全てのことに感謝しろ。人だけでなく、物や環境など、ここにある全てのことに感謝しろ。」と言われました。その言葉があって、唯一4年間やり通したことがあります。それは器具や道具は跨がないということです。自分を強くしてくれる道具を跨ぐということは失礼な行為なので、道具は跨がずに4年間やってきました。3年生までは義務的に行っていました。理由は分かっていても、それを忘れてしまっていました。しかし、4年生では、本気でそう思ってやり通すことができました。ただやれば良い、という気持ちでは全てがだめになると、今は思います。大学での1年生から3年生の3年間は、今思うと失敗だったかもしれません。しかし、その3年間があったからこそ、今があるのだと思います。そして、このことは、これからにも生かしていけることだと思います。ここでみんなと一緒にやってきたということを嬉しく、また誇りに思います。明日もまたみんなに会える気がして、実感がありませんが、後輩のみんなはここで頑張っているし、4年生も各地で頑張っていると思うと、私も頑張れます。これからは、実家に帰って、教員採用試験の勉強をします。最近、講師の連絡も来ているので、もし講師になれたら、講師をやりながら、勉強も頑張りたいと思います。4年間、みんなと一緒に陸上ができて嬉しかったです。ありがとうございました。

松崎 宰
 こんにちは。最初に、こんな重い僕を胴上げしてくれてありがとうございます。今までが自分が胴上げする側だったのですが、初めて胴上げをされる側は想像以上に気持ちが伝わってきます。言葉じゃなくても伝わることはいいことですね。僕は4月の真ん中くらいに入部したのですが、正直えらいところに入ったなぁと感じました。それまでの自分の未熟なところがありすぎたことに気づかされました。しかし、自分の近くにあんなに素晴らしいグラウンドがあって、こんなにも本気で練習している人達がいるのに、無視することはできず、入部しました。5月に東北インカレがあり、僕は正直ただの大会だと思っていましたが、出場してみて強い先輩と共に闘い、先輩の勝つ姿が凄くかっこよくてそれを見て自分のなかで、 この大会だけははずさない! と思えるようになりました。それ以来東北インカレでは自己記録を塗り替えることができるようになりました。だんだんと自分の思考が変化することに自分自身驚いていましたが、その思考の変化のおかげで4年間頑張ることができました。今の自分があるのは、仲間の存在が大きいです。仲間がいるから一人でできないことも乗り越えることができました。 最初の頃は小さかった自分のつながりの輪は、自分の学年が上がるごとに後輩が入ってきてどんどんひろがっていきました。自分にできないこともあったけれどもは偉大な先輩を目指し、自分が先輩になったら後輩には弱いところをみせられないということもあり、成長できました。このように自分なりに続けてこれたことは本当にうれしく思います。今後の進路ですが、来年一年間勉強して自分のやりたいことを見つけたいと思います。進路が決まったら報告しようと思います。練習にも顔を出して後輩の成長を見届けたいです。また、大会にも応援をしに顔を出してコンマ1秒1センチでも力になれたらいいと思います。 ここにいる誰か一人がかけても今の自分はいないと思います。皆に会えてよかったです。


 ●片山 久美
 こんにちは。当たり前のように学生生活を送っていたので、それが今日で終わってしまうのかと思うと、頭がぼーっとしてしまい、話もぼやーっとしているかもしれませんが、聞いて下さい。中学時代から長距離をやっていましたが、怪我をしてから、先生と相談をして、円盤投げを始めました。いつの間にか福島大学に入り、気づけば2年生になり、小野が入部してきました。二人で、東北インカレで1、2位になろうと話をしたのですが、小野の怪我などもあり、なかなか実現することができませんでしたが、最後の個人戦で、1、2位をとることができて、本当に良かったと思います。私は、仲間にも、後輩にも、環境にも恵まれていたと思います。私は言葉足らずで、みんなにうまく伝わらないこともあって、迷惑をかけたと思います。ですが、みんなは私がうまく言えなくても、理解してくれて、困った時も助けてくれました。また、後輩も慕ってくれて本当に幸せだったと思います。これほど部員が多いのに、深いつながりのあるところは、福島大学陸上競技部しかないと思います。それは、人数が多ければ考えがぶつかることもありますが、この部だからこそ途中で挫折することなく、最後までぶつかりあえることができたのだと思います。本当に、仲間にも後輩にも恵まれたと感じています。今後の進路ですが、群馬県太田市の小学校教員になります。詳しいことは26日の内部式で発表されます。この卒部式で、みんなと会うのが最後になると思うと寂しいです。みんなの応援には、必ず行きたいと思います。私は気持ちがうまく伝えられず、マイナス思考なのだという自覚もあるのですが、なかなか直すことができずにいます。このことは、子どもたちと触れ合う中で、とても大切なことなので、これから身に付けられるようにしたいと思います。先生やOGの方々をはじめとするお世話になった方々に、直接恩返しをできれば一番良いのですが、その分しっかりと地域の方々に恩返しをしたいと思います。定年退職をしても、人と関わり、人の気持ちを理解し、人のために出来るように頑張っていきたいと思います。みんなに出会えて本当に幸せでした。何度も繰り返してしまいますが、仲間とこれほどぶつかりあえる環境はないと思います。最後までやり通すことは大変かもしれませんが、良いチームが作ることができるように頑張ってください。本当に幸せで楽しい4年間でした。ありがとうございました。