卒部式のひと言 2003年3月卒部

佐藤 伸弥
 まず淳平と4年間やってこれてよかったと思います。
 私はこの1年間、5年生として全カレに出るために競技を続けてきました。この1年、陸上だけに集中してやることができ、陸上をやれる幸せを改めて感じることができました。
 はじめは陸上を何となくやっていましたが、今は陸上が大好きです。
 仲間と一緒にたくさん練習すると、やった分だけ負けた時の悔しさが大きくなり、それにつれて自分も強くなって目標も大きくなり、そしてまた練習の強度も増していきました。もちろんきつさも増しますが、やり終えた時の達成感が私は好きで、喜びでした。人それぞれ喜びは違うとは思いますが、陸上をやる上で何か喜びを見つけてほしいと思います。きっとそのひとりひとりの喜びがチームとしての大きな喜びとなっていくはずです。
 これからはこの福大陸上部で培った体力と精神力で、消防士として市民の安全を守っていきたいと思います。また時間を見つけて福大にも来たいと思ってます。
 最後に川本先生ありがとうございました。

宮田 貴志
 去年も言ったけど、人を大事にしてください。そして出会いを大切にしてください。他人を大事にできない人は自分のことも大事にできません。また、困った時助けてくれる人はまわりに必ずいます。それを忘れないでこれからがんばってください。

荒木 泰斗
 川本先生4年間有難うございました。4月からは、福島で就職が決まり働くこととなりました。陸上部の皆さんとも顔を合わせる機会があると思いますのでよろしくお願いします。
  入学前の話になりますが、センター試験が終わった後、大学に行けるかどうかというハプニングがありました。私は、あの当時は働いてもいいと思っていましたが、親がなんとかしてくれて大学に入学し、卒業することができました。今では、本当に親に感謝しています。4年間福大陸上部で陸上ができたことにも感謝しています。
  というわけで、皆さんも親に感謝して頑張って下さい。

小笠原 努
 まず初めに学校の単位はしっかり取りましょう。また、高校時代までは勝手にご飯が出てきたり、制服のアイロンがけや洗濯は親がしてくれていましたが、一人暮らしをしてみると、親のありがたみを感じます。みなさんの親は大切な子供のために遠征費などを払ってくれていると思いますが、部活のお金を自分で払おうとしたらかなり大変です。 実家に帰ったときには中学や高校の先生に挨拶をしに行きましょう。中学や高校の先生方は私達のことを心配してくれているので、年賀状を送ったり、近況報告をしたりしましょう。それと、時間は思っている以上に早く過ぎるので、同じ学年のヨコのつながりは大事にすべきだと思います。友達というのはかけがえのないもので、陸上部の同学年のみんなは私がどんな状況のときでも普段と同じように接してくれたり、遊んだりしてくれました。陸上部の友人は本当に信頼できる人間でした。最高のパートナーとは、ときに最高の友人となるのです。では、2007年の大阪での世界陸上でお会いましょう。

棚橋 拓水
 自分は中学、高校と大変なことがあり本当に陸上なんてやってられない状態だったんですけど、そんな中で親は自分に陸上をやれと言ってくれました。高校3年のときも本当は就職しようと思ってたんですけど、自分には進学しろと親がいってくれました。だから自分は本当に親に感謝いてきました。福島大学に入学してから陸上部にはいり強くなるためには練習しかないと思ってたんですけどそれはかなり難しいことなんです。でも、そこで自分が弱気になってても陸上部の仲間が励ましてくれて、陸上をやるとともに仲間の大切さをしりました。自分は4月から教員になります。なぜ教員なったかっというと、まだ陸上部が続けたかったからです。高校生に教えながらずっと陸上に携わっていきたいと思ってます。

谷村 朋哉
 川本先生4年間ありがとうございました。先ほど盛田君が迷惑を掛けたといっていましたが、それは私の方です。盛田君とは4年間一緒にメニューをこなしてこれて良かったです。今までこのような場では主将として話してきましたが、実際はこのような場で話すのは苦手です。ここまで自分がやってこれたのは4年生や後輩の皆さんのお陰でした。最初自分は主将をやるつもりはありませんでした。幹部交代ではもめていて、やれと言われたからやるような主将はよくないと思っていました。それまで自分は気持ちを他人に伝えることが苦手なのでこのような役は他人に全てパスしてきました。しかしこれをきっかけに自分を変えようと思い、主将になりました。やってみて大変なことは沢山ありました。朝の集合や大会のミーティングの際はとても悩みました。しかし今は主将をやって良かったと思います。自分が少しであるけれど変われたような気がします。 部活はとても楽しく、陸上競技が好きでした。冬季のインターバルなど辛かったけれど一度もやめようとは思いませんでした。今思えば皆がいたから部活に来るのが楽しくここまでやってこれたのだと思います。自分はこの福大陸上部に入って心からよかったと思います。そして将来みんながここに立った時にそう思ってほしいです。だから決して部活をやめないで最後までやり通してほしいです。しかし時には自分の選択が間違っているかもしれません。その時は仲間に相談してやり通してほしいです。
 今、後輩たちは新しいキャプテンも決まり頑張っていると思います。3年生はこれからチームを引っ張って頑張ってください。2年生は今年幹部交代があります。今から3年生の仕事をよく見て準備してください。1年生は後輩が入ってきます。自分の行動に責任を持って行動してください。それぞれ自分の役割を考えていくことが大切になります。それから、やるべきことをやっていれば結果がついてきます。自分は4年間で体重が67キロから75キロになりました。しかしたった3ヶ月で69キロです。体は正直です。だからやるべきことはしっかりやり、食事や休養もとってください。それでも怪我をしてしまったらARCに来てください。でも怪我はしないでくださいね。3年生はこれから悔いが無いように、やってよかったと思えるように生活を送ってください。

登藤 大樹

 4年前、アパートの顔合わせがあり、そこでちょうど目の前に谷村がいました。谷村は私のことを知っていて、陸上をやるんだと目を輝かせて言っていました。私にも、「入るんでしょ?」と聞いてきましたが、私はその時陸上をやる気はありませんでした。しかし、谷村に誘われるままに陸上部を見学しに行き、入部届に名前を書いてしまいました。正直失敗したと思いましたが、高校の時の力でどうにかできると思い、やってもいいかなという感じでした。
 大学3年までは、怪我や病気のたびにやめようと思いました。そのたびに仲間やブロック長に声をかけてもらって、助けてもらいました。そして、3年時の幹部交代式のあとブロック長になってからの冬期練はがんばっていました。しかし、二瓶さんには、「なんで引っ張っていかないの。」と言われました。その時は棚橋ががんばって皆を引っ張ってて、私は棚橋の後ろに隠れていました。これじゃいいけないと思って頑張った大学4年は陸上が楽しかったです。実は高校からずっと陸上は楽しくありませんでしたが、4年生の時は辛くて嫌な練習も前向きに取り組むことができました。そして、高校の時の自己ベストを5cm更新することができました。4年間でもっと伸びた人はいるかもしれないが、5cm伸びるために出会った人達が私にとって一番の収穫だったと思います。特に同じ学年の仲間は自分が部活に来ない時期があっても文句を言わずに、いつまでも待ってくれて支えになってくれました。また、人と出会うタイミングも良かったと思います。谷村と顔合わせの時に会っていなければ、私は陸上をやっていなかったと思います。人との出会いというのは大切にするべきだと思います。

盛田 昌憲
 こんにちは。先生、有り難うございました。この仲間で4年間やってこれて嬉しく思う。福島大学・陸上部に入ったきっかけは、後期試験の時、宮田さんと先生の記事を見て、たまたま入った。入ってみたらやはり凄い人ばかりで、ついていけるか不安だった。高校では100mとやり投げをしていて、大学でどちらをするか考え、宮田さんがいる100mにしたが、妥協しがちな性格でやり投げにした。しかし、それでよかった。怪我も苦労もして、谷村さんには迷惑をかけてしまった。でも、谷村さんのお陰でやってこれた。感謝してます。3年・冬から就職活動をして陸上をしてきて良かったと感じた。面接の時、嘘でも自分をよく見せようと失敗ばかりしたが、4年・夏頃に開き直り、大学生活で力を入れたものは陸上とアピールした。4年間頑張った自信と精神的にも強くなり、陸上が+αになった。ダメかな、やめたいと思った人もいるかもしれないが、やめないで頑張ることが+αになる。記録に残り、アピールにもなる、色々な面で+αになる。これから各学年、苦しい時も楽しい時も支えてくれる仲間がいるので、話し合い協力して頑張ってほしい。

湊屋 淳平
 私が今ここにいるのは、この4年間で先輩方にお世話になり、自分を表にだすことができたからです。1、2年の時は引っ張っていただくという感じでしたが、3、4年になると自分が後輩を引っ張っていかなければならないコンプレックスがありました。
 中距離の練習は特につらく、自分の弱さで壁に直面し、前向きに考えれなくなる時もありました。そのたびに自己啓発の本を読み、積極的な考えを持ち、自分をこの陸上部で強く高められたことが宝物になりました。
 もし壁に直面した場合には、そういう自己啓発の本を読んで強い自分を作り、成長していってほしいと思います。
 4月からは日通で働きます。表にはでない縁の下の力持ち的仕事ですが、そういう所でも4年間陸上をしてきたことを大切にし、一流の社会人になりたい。

池田久美子
 4年間で心が変われば体が変わる。小・中学校と父に指導してもらい日本で一番は当たり前だと思っていた。高校はどうして記録が出ないかわからず、父から川本先生のもとへ。速く走れれば記録が出ると思っていた。雉子波さんにも色々指導してもらい、「池田のおしりメロンみたい。そんなんじゃ走れないよ。」と言われ、はじめは反発していたが、絶対強くなってやると思った。大学1年の時は、くやしい、けど勝ちたいと、話しかけづらいぐらい一人で閉じこもる。他人には関係ない、と、自分の本当の姿を他人に見せれない。春合宿で川本先生に「いいよ!」といわれ、技術的にはっとする違う感覚を得る。はじめはその感覚に慣れないが、徐々にその感覚に慣れるように。あと5cmで世界ジュニアへ・・・。雉子波さんに「いけるよ!」と言われ自信が生まれた。そこから自分に出来ることは何か?と考え、自分が変わる為に、薄いノートを買い、お菓子は食べない、睡眠をとる、など今自分がやらなくてはいけないことを書き記し、これを我慢したら跳べるんだ、と、目につく所に置いた。できたら消していく。自分のやるべきことができたときに川本先生の言うことができて、記録の向上につながった。心が変わらないと体は変わらない。今自分にできることをクリアしていくことが、強くなることにつながる。大学3年は記録が一番よく、大学4年は上へ行こう行こうとしていた。世間から「池田さんどうしたの?」と言われて、昔の自分ならそのたびに自身をなくしていたが、仲間(卒業生)がいて、みんながいて、記録が出なくても変わらずにいてくれたこと。アジア大会の為の跳躍練習のときに大雨でプールみたいな砂場をみんなが自分の為に泥まみれになりながら砂場を作ってくれたことなど、支えられた。そして、親を大切に。父がずっとコーチで、高校のスランプの時は嫌だなと思ったこともあったが、大学1年の高い遠征費を払った大会で5m40しかとべなくて、それでも親は楽しめればいいんだよと言ってくれた。社会人になるので恩返しをしたい。
 記録が出ないと練習したくない気持ちが生まれる。そういう時こそ、自分のやれることを楽しむ。負けて得たものは大きい。負けて考える→記録が出る→嬉しさはひとしお。だからこそ陸上を楽しむ。

小野寺由起
 今日はありがとうございます。3月から働いていてあっという間に卒業式になってしまいました。私が三重に帰って思ったことは福島大学に来れ感謝しているということです。ここで色々なことを学んで来れ、こうして堂々と話せるのも良い環境にいれ充実した日々を送れるたからです。親からまるくなったと言われ友達からも変わったと言われます。前は後先を考え内気であったが前向きに考えられるようになり自分を少しずつ変えれました。それはまわりの影響があったからです。色々な人の話しを聞きくことで、失敗を恐れず色々なことに挑戦できるようになりました。これからの進路ですが、人間性をみてこの人がほしいという企業に入りたかったです。就職活動をおこない、たくさん落ち込み決めた企業。やってみなければわからないし、何が正しいなどないし失敗してわかることもあるのでまず働きます。お互い充実した日々を送れるよう頑張っていきましょう。

沓澤 瑞恵
 先生、4年間有難うございました。 去年までは、皆さんの側に座っていましたが、こうして今年卒業する側に立っていることは不思議な気分です。自分には卒業なんて来ない様な気持ちでいましたが、朝から着物を着たりしているうちに実感がわいてきました。 本当に4年間はあっという間でした。 皆さんに先輩らしいことはあまり出来なかった様に思います。 ほかの卒業生の皆さんも言っていましたが、人との出会いは大切だと思います。何かの縁でこうして陸上部として皆さんに会えて本当に良かったと思います。有難うございました。

佐川 絵里
 4年間を一言で表すと充実。泣いたり、悔しかったり、楽しかったり・・・。1年の時はそうは思えない。言われるがままだったり、考えながらできなく、100%ではない。1、2、3、4年と経験を積み重ねながら充実していった。今、ここに立ててよかった。陸上は、大事な時とか、最後は一人。せっかくここは陸上をやろうとしている人が集まっている場。人に何か出さないと自分ももらえない。4年の試合は、応援が聞こえて、いろんなことをもらって陸上をやってきたと思う。元気があれば何でもできる。寒くても、暑くても、ケガや病気をしても、元気にひっぱられたりする。下を向くのではなく、元気を出すことが次につながる。
 今日久々にみんなに会って、顔がいきいきとしていた。自分は今陸上から離れているからうらやましい。いわきの中学校に行くが、少し遠いが応援している。私もみんなに負けないように輝きたい。

原田真理子
 卒業を迎えられたのは、みなさんや先生のおかげです。私は成功談と失敗談の2つの話をみなさんに伝えたいと思います。
 まずは失敗談で、これはみなさんにはやってほしくないことです。私は最初 幅跳びで入って、400mはきついという気持ちがありました。入部して最初のフリーのとき、まわりのみんなは二週間だったのに、自分ともう一人の部員は一週間の休みしかとれず、先生に「休みが少ない」と訴えに行ったことがありました。しかし先生がおっしゃったことに納得がいかず、それから憂鬱になってしまいました。1年の冬季は、雪の日などは練習に出たくない気持ちにもなりました。
 そして成功談は、陸上が楽しくて楽しくてしょうがないという時期の話です。これは全カレのリレーで負けた後からです。まわりの4年生のみんなや全員が支えてくれて、ありがたみがわかりました。成功したのは、きっと目標があって、それを信じていたから頑張れたのだと思います。
 私は今 研修をしているわけですが、とてもいい言葉を教えてもらったのでみなさんにも紹介したいと思います。『志』という字があります。この字は下に心という字がありますが、その心という字の上に、マイナスがあります。人は誰でもマイナスの気持ちを持っているものです。ですが、そのマイナスの上に大きなプラスがあるのです。つらくてもみんなと共に頑張って行こうといった気持ちです。この気持ちがあれば、目標も夢のままではなくなるはずです。
 さきほど父から言われたのですが、横浜でも頑張ってほしい、地方の大学は小さくみえてしまいがちなので、声を出して元気に頑張ってください、とのことです。実家からも近いので是非応援に行きたいと思います。

横川  舞
 自分らしさをわすれずに頑張ってほしいです。私は陸上が好きでこの大学を選びました。入部してみると不安もありましたが仲間や先輩に支えられなんとかやっていくことができました。しかし自分には強くなりたいという気持ちが少なかったと思います。自分に自信が持てないぶん記録も延びず逃げている自分がいました。そしてマネージャーになりましたが先輩に甘えてばかりでいざ先輩がいなくなると大変でした。しかし自分の居場所が明確になり自分に足りない部分が見えてきました。やってみて見えてくることもあります。もし今、部を辞めたいと悩んでいる人がいるなら何か開ける道があるはずなので頑張ってほしいです。私はマネージャーになって気づいたことがたくさんあり、それは選手でいたら気づけなかったかもしれません。マネージャーの立場から選手をみてこうしたら強くなれたのかなどと見えてくることがたたありました。川崎の大会に出てみようと思ったのも選手として入って来たので、最後に試合に出場することで4年間の総まとめになるのではないかと思い、マネージャーの仕事も任せ1ヶ月間、練習し大会に挑みました。みんなに支えられながらも自分の中で戦え良い経験になりました。
 マネージャーはカタチになりにくいけど、自分がみんなの役に立ててみんなの記録が延びていくことは嬉しかったです。また、みんなが仕事を手伝ってくれたことには感謝しています。伊達や三嶋に仕事を頼まれたら、手伝ってあげてほしいです。